種なしに種の名残や神迎         津川琉衣

  • 2008/07/04(金) 21:26:49

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種なしに種の名残や神迎         津川琉衣
                        「人」三月号〈千余の手〉より


 商品としての果物は、消費者の意向におもねるように、より甘く、大きく、食べやすく品種改良が重ねられてきた。

 しかし、それは果物自身の本意ではむろんない。

 「種」という生物の根本にかかわる部分を除去されて育てられる姿は、果たして健全なのであろうか。

 「種なし」の果物にある「種の名残」は、「神」の摂理に対する生ある者の抗議の証なのかもしれない。

 「種なし」に「種の名残」があることの発見、そして、そこから派生する思いについて、多言を弄さずに季語「神迎」でぴしりと抑えた考えさせる一句である。

どこの宿より冬萌の此処が好き      富田潮児

  • 2008/06/14(土) 00:20:37

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どこの宿より冬萌の此処が好き      富田潮児
                      「若竹」二月号〈夢窓庵随唱〉より


 今までいろいろなところを旅してきた。

 豪華な調度の部屋もあれば、贅沢な料理を給する宿もあったのだが、この窓から冬萌の景色が見えるこの宿が一番良い、というのである。

 さりげない部屋のさりげない眺め、しかしそこには一番幸せな人と自然の営みがあるのだ。

 富田潮児氏は明治四三年生まれ、主宰していた「若竹」を一八年前に加古宗也氏に継承し、百歳に近い今も健在な詠みぶりである。

 句柄に自在さが加わり、ますます奥行きが深くなった。

 明治、大正、昭和、平成を生き、行き着いた心境の一端が垣間見える佳句である。

遠道が近道になる穴惑ひ        星川木葛子

  • 2008/05/15(木) 22:31:44



  遠道が近道になる穴惑ひ        星川木葛子
                       「寒雷」二月号〈暖響鏘鏘〉より


 人生は選択肢の連続である。

 分かれ道は無数にあり、一本の道を選んだ途端に、他の道は消滅する。

 後戻りのできない航海であるが、どれが「近道」であり、どれが「遠道」であるかは誰にもわからない。

 「穴惑ひ」はそんな人間の姿そのものとも言える。

 「遠道」が実は「近道」であったと思える人生は幸いである。

 「遠道」も「近道」も所詮は人間の主観のなせる業と達観できる人は、ようやく「穴惑ひ」のレベルを脱したと言えるのであろう。