引潮に鴨と行つたり来たりかな      須佐薫子

  • 2008/07/06(日) 23:13:28

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引潮に鴨と行つたり来たりかな      須佐薫子
                        「帆船」三月号〈鎌倉山〉より


 作者は鎌倉山から穏やかな春の海を眺めている。

 海は寄せては返す満ち引きの永遠の運動を続けている。

 そこへ波間に漂う鴨が一羽、潮の満ち引きに合わせて行ったり来たりしている。

 そして、それを眺めている作者も、波間に浮かぶ鴨と一体化して、春の波に行ったり来たりの揺れを楽しんでいるのである。

 表現として、「鴨の行ったり来たり」ではなく、「鴨と行ったり来たり」としているのがポイント、前者であれば平凡な情景句であるが、後者の表現をとったことで、極めて主観的なすぐれた句となった。

 俳句は一人称の文学であることを改めて気付かせてくれる作品である。

種なしに種の名残や神迎         津川琉衣

  • 2008/07/04(金) 21:26:49

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種なしに種の名残や神迎         津川琉衣
                        「人」三月号〈千余の手〉より


 商品としての果物は、消費者の意向におもねるように、より甘く、大きく、食べやすく品種改良が重ねられてきた。

 しかし、それは果物自身の本意ではむろんない。

 「種」という生物の根本にかかわる部分を除去されて育てられる姿は、果たして健全なのであろうか。

 「種なし」の果物にある「種の名残」は、「神」の摂理に対する生ある者の抗議の証なのかもしれない。

 「種なし」に「種の名残」があることの発見、そして、そこから派生する思いについて、多言を弄さずに季語「神迎」でぴしりと抑えた考えさせる一句である。

凍滝のあまりに絵空事に似て       野田禎男

  • 2008/06/20(金) 06:17:27

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凍滝のあまりに絵空事に似て       野田禎男
                       「吉野」二月号〈冬日〉より


 滝は、自然の風景に大きなアクセントをもたらす造形である。

 春夏秋冬さまざまな表情を見せるが、流れ落ちるまま凍ってしまう「凍滝」は、その真骨頂であろう。

 「滝」という「動」の最たるものを瞬間のうちに「静」に変えてしまうダイナミズム。

 「あまりに絵空事に似て」いるリアリティに圧倒される作者の姿が率直に表現された。

 「吉野」は平成一八年四月に創刊した若い俳誌で、行政の世界で長らく活躍された主宰野田禎男氏の気力の充実ぶりがうかがえる。

どこの宿より冬萌の此処が好き      富田潮児

  • 2008/06/14(土) 00:20:37

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どこの宿より冬萌の此処が好き      富田潮児
                      「若竹」二月号〈夢窓庵随唱〉より


 今までいろいろなところを旅してきた。

 豪華な調度の部屋もあれば、贅沢な料理を給する宿もあったのだが、この窓から冬萌の景色が見えるこの宿が一番良い、というのである。

 さりげない部屋のさりげない眺め、しかしそこには一番幸せな人と自然の営みがあるのだ。

 富田潮児氏は明治四三年生まれ、主宰していた「若竹」を一八年前に加古宗也氏に継承し、百歳に近い今も健在な詠みぶりである。

 句柄に自在さが加わり、ますます奥行きが深くなった。

 明治、大正、昭和、平成を生き、行き着いた心境の一端が垣間見える佳句である。

花八つ手夕暮はまだその先に      雨宮きぬよ

  • 2008/06/08(日) 14:17:42



花八つ手夕暮はまだその先に      雨宮きぬよ
                         「百磴」二月号〈雪蛍〉より


 八つ手の花は、いかにも初冬に咲く花らしい控えめな風情をしている。

 大きな円錐形の花穂をなして、無数の小さな白い花が毬のようにいくつも咲くその表情は、これからの厳しい寒さを内包したものとも言える。

 この花は、まだ暖かな陽の残る昼と夕暮の微妙な間合いにこそふさわしい。

 一日が終わる漠とした寂しさ、これから冬へと向かう静かな時の移ろいが「花八つ手」に凝縮されているかのようだ。

 草間時彦氏の句に「淡々と日暮が来たり花八つ手」があり、これに呼応するかのような掲句に余韻の深さを感じる。